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「色でみる絵画の魅力」全5回終了しました [美術講座]

一昨日2/13は「色でみる絵画の魅力」最終回でした。色彩学の基礎や赤や青などキーとなる色の象徴性を見てきて、締めくくりは近代絵画。やはり19世紀後半以降の色彩は、それまでと比べて格段に多彩で、絵画表現に新しい可能性を拓きました。みんな大好き印象派やちょっとマニアックな新印象派、ゴッホやゴーギャン、そして20世紀絵画など、色の力なくして成り立たない絵画の数々は、私たちの美的経験も豊かにしてくれるように思います。

5回にわたって色の世界を深掘りした今回の講座。少人数でしたが、受講者の皆さん発言も活発で、活気ある学びの場となったのではないかと思います。中には元美術教師で自身が表現活動をなさっている受講者もおられ、私自身もいろいろ興味深い気づきをいただきました。ありがとうございました。

2017年度の講座については、決まり次第お知らせいたします。

美術講座『色でみる絵画の魅力』第2講ご案内 [美術講座]

色でみる絵画の魅力第2回目を11月14日(月)に行います。単発受講も受け付けておりますので、ご関心ある方はお申し込みください。詳しくは下のページをご覧ください。
https://www.facebook.com/events/1830032547266460/
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美術講座「絵の中の女性」終了! [美術講座]

9月12日、2016年度前期の美術講座「絵画の中の女性」全5回終了しました!

今回のシリーズは、「描かれた女性」に注目し、聖母マリア、マグダラのマリア、サロメ、ユディト、スザンナ、ヴィーナスなどにスポットを当てながら、女性像を通して表された様々な意味やイメージについて考えました。絵に描かれた美しい女性たちは、信仰や理念の具現として、美の象徴として、欲望の対象として、人が女性の中に見たいと思う様々な願いや欲求を体現してきました。知ることで絵の見方も変わります。この「変わる」ということが学ぶ醍醐味だと思います。

後期は、「色で見る絵画の魅力」と題して、絵画の基本的構成要素である色彩に注目し、古今の名画の魅力に迫ります(全5回)。美術館見学も盛り込んで、よりパワーアップする予定。ご期待ください!

マリア×マリアその2ーマグダラのマリア [美術講座]

美術を彩る2人のBIGマリア、そのもう1人が「マグダラのマリア」です。キリストの弟子にして、パートナーでもあったと言われる女性。その前半生は娼婦とも伝えられ、「悔悛した罪人」の象徴的存在でもあります。あくまで清らかな聖女である(あらねばならない)聖母と違って、聖と俗の両極を併せ持ち、美術表現における振れ幅も大きいのがマグダラのマリアです。

Carlo Crivelli_Maria Magdalena_1475_マグダラのマリア_アムステルダム国立美術館_wiki.jpgdonatello_magdalene_1453-55.jpg
左:クリヴェッリ 右:ドナテッロ

上の2つを見ても、片や最新流行のモードに身を包んだファッショナブルな若い女性、片や痩せこけてボロボロの姿で流離う中年女。この両極端な違いは何なのでしょう?!(聖母マリアがこれほど異なる姿で表現されることはまずありません。)

これにはそれなりの理由があります。つまり、マグダラは複数の人物の複合体だと考えられるのです。マリアというのは当時のユダヤでよくある名前で、聖書にも何人か登場しますから、混同が起こるのは大いにあり得ることでしょう。また、類似の行為や性格を結節点に複数の人物が関連づけられたことも十分に考えられます。現代に伝わるマグダラのイメージは、おおむね次の人物&エピソードの混合体と考えられます。

・マグダラのマリア―イエスの磔刑・埋葬・復活の立会人
・「罪深い女」―イエスに悪霊を追い出してもらう、イエスの足を洗い香油を塗る
・ベタニアのマリア(マルタの妹)―イエスの話に聞き入る、イエスの足に香油を塗る(「罪深い女」と同じ行為)
・エジプトのマリア(5~6世紀の聖人)―淫蕩の生活ののち回心し荒野で修行

そもそものマグダラは「使徒たちの使徒」として、使徒の中でも指導的なポジションにあったようです。イエスとの関連で見ても、「磔刑」「埋葬」「復活」という極めて重要な場面に全て立ち会っていることから、イエスとの近さが推測できます。また、福音書の中で「マグダラ」と特定されている人物において、「回心した娼婦」という属性は特にありません。それが、5世紀に教皇大グレゴリウスによって「マグダラ」=「罪深い女」の関連づけがなされたことから、両者が同一視されるようになっていきます。そして時代が下るにつれ、使徒としての重要性よりも「悔悛した罪の女」としての側面が強調されるようになっていきました。

Tiziano_MariaMagdalena.gif
ティツィアーノ

マグダラ評価については福音書記者の間でも微妙な差があり、(女性である)マグダラが他の(男性)使徒と比べても優位な地位にあったらしいことに関して、神学的にも議論があったようです。特にペテロのマグダラへの対抗意識は非常に強く、外典や宗教文学の中で伝えられています。少なくとも宗教的権威という点では、初代教皇となったペテロが勝利したといえるかもしれません。一方マグダラは、「使徒」としての役割よりも「悔い改めた娼婦」としてのイメージが定着していきます。宗教的権威においては一歩二歩三歩…譲ってしまった感があるものの、マグダラは大変人気のある聖女で、聖母と並んで人々の篤い信仰を集め続けてきました。

聖母マリアと同様、正典だけを見ればそれほど詳細な記述のない「マグダラのマリア」ですが、こうした歴史的経緯や、外典、宗教文学を通じて多彩な伝承が残されています。特にヤコブス・デ・ウォラギネ『黄金伝説』(中世イタリアの聖職者ウォラギネの著したキリスト教聖人列伝)には、ストーリーとしても面白い波乱万丈なマグダラの生涯が記され、芸術表現に大きな影響を与えました。美術においては、聖母マリア以上に多様な表現が可能なキャラクターであったことも、画家や注文主とって魅力的であっただろうと思います。

キリスト教にはたくさんの聖人が登場します。教義上「神」はあくまで唯一ですが、神を取り巻く数多の聖人や天使たちは、神と人間の間にいて両者を取り持つ役割を果たします。特に「聖人」は元来あくまで「人間」ですから、超自然的なエピソードに彩られつつも人間的な要素を大いに持っています。それらは人々の多種多様な願望を反映し、一様ではない信仰心の受け皿となり、ヴァラエティ豊かな図像表現の系譜を形成しました。そう考えると、「宗教画」といっても人間臭いエピソードが満載で、われわれ凡人と何の接点もない雲の上の聖人君子ばかりが描かれているのではないことが分かります。現代の日本に生きる私たちは、中世やルネサンスのヨーロッパに生きた人とは文化も慣習も心性も異なりますが、人間であるという一点において、こうした違いを超えた普遍性に触れることができるのだと思います。そして、そうしたものとの出遭いは、深いところで心を癒したり高めたりする、精神の糧のようなもとなるのではないでしょうか。そうした水先案内ができればと思い、こうした講座を続けています。

第3講「ファム・ファタルの系譜」では、かのサロメ伝説の秘密に迫りました。続きは後日!

☆第1講「聖母マリア」はコチラ


★【単発受講受付中】8/8 絵の中の女性 #4「聖書の中の女たち」では、戦う女ユディトを取り上げます。お楽しみに!
申込フォーム
http://my.formman.com/form/pc/BNHlAlQTb43d3jxo/
プログラム
http://lifeskill-npo.org/pdf/art-tabi-4th_2016_zenki.pdf

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マリア×マリアその1―聖母マリア [美術講座]

歴史に名を残している画家の大半は男性ですが、絵の中には夥しい数の女性が登場します。描く女、描かれる女―現代では女性アーティストもめずらしくありませんが、人類の歴史を通じて女は圧倒的に「描かれる」側の存在でした。そんな「描かれた女性たち」に光を当ててみようと、今年度前半の美術講座は<絵の中の女性>をテーマに5回シリーズで開講中です。

Leonardo St-Anna.jpgmurillo mugenzai.jpgangelico annuciation.jpg
左上:レオナルド・ダ・ヴィンチ《聖アンナと聖母子》
右上:ムリーリョ《無原罪の御宿り》
下:フラ・アンジェリコ《受胎告知》

5月16日の第1講で登壇してもらったのは、「描かれる女性」の筆頭格、聖母マリア。乙女であり、母であり、今なお世界各地で目撃譚が絶えることのない永遠のマドンナ。その名を冠した聖堂や教会の多さを見ても人気のほどが伺われ、実質的にはキリストを凌ぐスーパースターです。聖なる乙女にして聖なる母マリアは、人が女性の中に見たいと願う様々な理想を投影されてきた存在です。

そんなトップスターのマリアですが、聖書(正典)には驚くほど少ししか記述がありません。キリスト教は西洋美術の根幹で、多くの主題のキリスト教の聖典に基づいていますが、いわゆる『聖書』(正典)を読んでも、どこにも出てこないエピソードはけっこう多いです。というのも、聖書には正典(Canon)と外典(Apocrypha)がありますが、絵画の主題は外典由来のものも多いからです。聖母もその一人で、マリア伝説の主たる源泉は『ヤコブ原福音書』という外典。この書の眼目は、一言でいえば、マリアの処女性の強調です。(正典には登場しない)ヨアキムとアンナというマリアの両親も登場し、(イエスと同様)奇跡的な受胎によって生を受けた生誕の経緯や、信仰深く賢明な少女としての成長物語、結婚や受胎、出産の顛末が詳しく語られます。こうした物語は正典以上に人々に親しまれ、特に文化・芸術の重要な題材となりました。

ところで、一口にキリスト教と言っても、様々な宗派があります。一般にルネサンスやバロックなどの華麗な宗教絵画のベースとなっているのは、カトリックの教理です。イコンを中心とした正教会(東方教会)は、西方のカトリック教会とはかなり異なる図像の伝統を持っています。また、聖書(正典)に重きを置くプロテスタントは、総じて美術には淡泊です。(プロテスタント圏では宗教画の需要は減っていき、代わって風景画や静物画などの世俗絵画が発展します。)

処女にして母という、女性に求められる理想の両極を具現し、聖女の頂点を占め続けてきた聖母マリア。その純潔性をめぐっては宗教者の間でも見解が分かれるようですが、これほどまでに敬愛され続けてきたのは、純潔性よりもやはり母性のゆえではなかろうかと思います。実はマリアとイエスの母子関係は、実際にはそれほど親密で良好なものではなかったようです。しかし、少なくとも絵の中では、美しく純潔な若い母と無垢な幼子は、男性にとっても女性にとっても「理想のお母さん」として救いと安らぎの象徴となってきたのではないでしょうか。

さて、聖母と並んでもう一人、美術界を牽引する重要な女性が「マグダラのマリア」。第2講では、この清濁併せのむもう一人のマリアを取り上げました。内容はコチラ

★7/11 絵の中の女性 #3「ファム・ファタルの系譜」受講者募集中!詳しくは下記をごらんください。
案内チラシ
http://lifeskill-npo.org/pdf/art-tabi-4th_2016_zenki.pdf
申込フォーム
http://my.formman.com/form/pc/BNHlAlQTb43d3jxo/
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ゴヤ《カルロス4世の家族》―アートでめぐる世界の旅 [美術講座]

ロイヤルファミリーというものは今も昔も人々の関心の的。絵に登場する「家族の肖像」を追うシリーズ―最終回の第3講(3月7日開催)は、ゴヤの《カルロス4世の家族》を取り上げました。
[アート]画像
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/f/fc/Francisco_de_Goya_y_Lucientes_054.jpg

まずは皆さんに絵を見ながら自由にコメントを出し合ってもらいます。主要な登場人物のセリフを考えてもらったところ、次のような言葉が。。。

 ・私が主役よ(王妃:中央)
 ・嫁さんがセンターってのはどうよ...(国王:右手前)
 ・次は俺の時代だ(皇太子:左手前)
 ・こいつらにはウンザリだ(皇太子:左手前)
    ・・・等々

たしかに画面中央に堂々と立つ王妃の姿からは、かかあ天下(!?)の実態が一目瞭然です。本来なら国王が立つべき場所でしょうが、人のよさそうな国王はあっさりその場を明け渡してしまったようです。横並びの列から一歩前に立っているけれども、中心ではないカルロス4世の立ち位置は何とも微妙です。同じく画面左側手前に立つ皇太子は、気の弱そうな国王とは対照的に強い野心を内に秘めているように見え、やや超然とした表情から家族の中で浮いた印象も与えます。
史実に照らしても、政治的に無能で気の弱い国王(ちょうどフランスのルイ16世のような?)、宮廷と政治を牛耳っていた王妃、そうした親を嫌悪し後に史上最悪の暴君になった皇太子…など、この絵は各人物の性格や入り乱れる思惑をかなりあからさまに表しているようです。どの人物もいま一つ立派に見えないのも、高貴な身分の人々の肖像としては異色です。そうした容赦のなさはまさしくゴヤの真骨頂と言えましょうが、画家としては露悪的に表現したわけではなく、宮廷批判などの意図を込めたわけでもないようです。野心家だったゴヤは、宮廷画家の地位を得るためにあらゆる手を尽くしました。そして、首席宮廷画家になりたてのゴヤは、大きな自負をもってこの大作に挑んだことでしょう。その結果、はからずもこの一家の実態を露にしているとすれば、それこそまさにゴヤのゴヤたる所以であると思います。

家族の肖像は、さまざまに形を変えながら描かれ続けてきた普遍的なテーマ。家族の核である夫婦2人の婚礼の肖像から親子3人水入らずの聖家族、そして複雑な人間関係が錯綜する大家族のロイヤルファミリーまで、家族の形に注目して3つの作品を見てきました。「家族」とは、時にありがたく、時にやっかいで、愛していても傷つけあったり、嫌っていても捨てられなかったり、とかく一筋縄ではいかず、悩みや煩悩の温床でもあります。それでも「家族」は今も人間社会に存在し続けています。これからどんな「家族の肖像」が出てくるのか、人類の未来とともに興味深いテーマです。

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ミケランジェロ《聖家族》―アートでめぐる世界の旅 [美術講座]

世の中にはいろいろな家族があります。絵の中にもいろいろな家族が登場します。そんな「家族の肖像」を追うシリーズ―今回取り上げたのは父・母・子の“核家族”が主役の作品です。

2月22日、連続講座「アートでめぐる世界の旅」を大阪・北浜にて開催しました。今回の作品は、ミケランジェロの《聖家族》(トンド・ドーニ)。前回(1/25)の《アルノルフィーニ夫妻の肖像》に続く、家族の肖像シリーズの第2講です。

[アート]画像↓
http://www.italian-renaissance-art.com/Doni-Tondo.html

聖母子すなわちイエスとマリアを描いた作品は古今数知れませんが、父ヨセフとなるとその登場回数は激減します。聖霊の奇跡により受胎したマリアが、聖母として(むしろイエス以上の)絶大な信仰を集めてきたのと対照的に、血縁的にはイエスと繋がりのない養父であるヨセフは、聖書でも絵画でも今ひとつ影の薄い存在でした。そのヨセフが大きく、もっとも高い位置に描かれた本作は、いろいろな点で興味の尽きない「家族の肖像」です。

登場人物や構図に注目しながら皆で話し合ってみると、
・この男性は父?それとも祖父?
・父にしてはだいぶ年を取っているなぁ
・この絵の父には家父長的な権威を感じる
・背景の裸体の人物は何者?
など、いろいろな意見や疑問が出されました。

面白かったのは、子ども(イエス)が父から母へ手渡されていると見た人と、母から父へ手渡されていると見た人がいたこと。一般的には父から母へ手渡されていると解釈されていますが、どう見ても自然とは言い難いこの捻りの入ったポーズ、(特に女性には)「たまには貴方が子どもの面倒みてくださいよ」とか「たまにはお父さんに遊んでもらいなさい」と言いたげな母の声の反映と映ったのでしょうか?!

年の離れた夫と妻、血のつながらない父と子、通常の方法ではない方法で子を授かった母…「家族の肖像」として見た時、この一家はなかなか複雑な家族であるともいえましょう。しかしながら、父・母・子のいずれもが堂々とした互角の存在感をもち、緊密な世界を構成しているこの絵は、あまたある聖画像の中でも飛びぬけて力強い作品です。ここには来るべき受難と苦悩よりは、結束して人類を逞しく導いていくパワフルなファミリーの姿が見えるような気がします。

次回は、
|2016年3月7日(月)10:00~11:30
|大阪NPOセンター セミナースペース
|ゴヤ《カルロス4世の家族》(家族の肖像シリーズ第3講) 

単発受講も可能です。
詳細はコチラ(PDF)
お申込みはコチラ(webフォーム)
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知るほどに謎が深まる《アルノルフィーニ夫妻の肖像》―アートでめぐる世界の旅 [美術講座]

美術講座「アートでめぐる世界の旅シーズン3」(全3回)、昨日からスタートしました。

第1回目は、ヤン・ファン・エイクの《アルノルフィーニ夫妻の肖像》。豪華な調度品に囲まれた室内で、男女が手を取り合い、誓いのようなポーズで立っています。無表情とも言える男性と、まだ幼さを残したような女性の取り合わせ、2人のしぐさや視線の行き先など、どことなく謎めいて、少々不気味な雰囲気さえ漂う絵かもしれません。

初期フランドル傑作であるこの絵の解釈をめぐっては、これまで様々な議論が展開されてきました。代表的な(仮)説は、美術史家エルヴィン・パノフスキーが1934年に提唱した、ルッカ出身の商人ジョヴァンニ・アルノルフィーニとその妻ジョヴァンナ・チェナーミの結婚証明の絵というものですが、近年これと矛盾する証拠が見つかっており、反論も出されています。

北方ルネサンス特有の緻密な細部の描写や個々のモチーフのリアルな質感とは裏腹に、この絵の主題や象徴性は謎に富んでおり、今なお決定的な証拠は出ていません。

参加者同士で話し合ってみると、
・結婚にまつわる絵にしては幸福感や温かさが希薄
・特に男性の表情や手のポーズが謎めいている(←プーチンに似ているという意見も!)
・女性は妊娠したいるの?だとしたら、婚前交渉って認められていたの?
・豪華な衣装や調度品から金持ちのカップルだと分かる
・現実の男女を描いているのか、あるいは虚構の姿なのか?
など、いろいろな意見や感想が出されました。

結論づけることはできませんが、一つ言えるのは、知れば知るほど、調べれば調べるほど、むしろ謎が深まる、不思議な絵だということです。

ここに学ぶことの面白さがあるように思います。学ぶということは、もちろん新しい知識や技術を習得することであり、様々な疑問に考えを巡らし、あれこれ調べて、パズルのすべてのピースがピタッと収まるように、わからなかったことがクリアになった時の喜びや爽快感は何とも言えないものです。しかし、それは同時に新たな謎、新たな疑問への入口であり、そこからまた新たな探求が始まります。

絵も同じ。見るほどに、知るほどに、新たな発見と、そして新たな謎が見えてくる。見るほどに、実は今まで「見たつもり」「わかったつもり」だっただけかもしれないことに気づかされるのです。美の精華に触れて目の喜びを味わいながら、そんな知の喜びも味わっていただければ本望です。

☆Wikipedia アルノルフィーニ夫妻の肖像

次回&次々回は、

●2月22日(月) ミケランジェロ《聖家族》
●3月7日(月)  ゴヤ《カルロス4世の家族》

単発受講も受付中です。
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