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傷つきやすさの表現―教員研修にて [講師出講]

8月7日、池田・豊中・箕面の公立学校・園教員対象の研修にて、アートワーク研修を行いました。

初めに、「子どもと退行―傷つきやすさの表現」というテーマでミニ・レクチャー。主に幼稚園~小学校3・4年ぐらいの子どもの作品を事例に、排泄物や性器など典型的な退行(赤ちゃんがえり)のサインや、モチーフをぐるりと取り囲む表現、そして樹木画などを取り上げ、特に傷つきのない元気な子どもの作品と比較、対照しながらお話しました。特に今回は子どもの自尊感情と表現との関係に光を当てましたが、表現することが子どもの自尊感情を高める、ということには多くの先生方が関心を示されました。

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後半のアートワーク・タイムでは、実際に「自分の好きな木」を描いていただきました。バウムテストという心理テストもあるように、樹木画には自我の状態がよく表れるため、子どもの状態を知る手がかりになります。ここでは心理テストとしてではなく、あくまで自由な表現を引き出しながら、コミュニケーションの手がかりとするためのアートワークの一つとしての実践ですので、鉛筆だけではなく、いろいろな画材や好きな色を使って、自由に仕上げていきます。描くこと自体の心地よさが味わえ、後で作品を見ながら話し合ったり、自己洞察することもできるという点で、教育現場で取り入れやすい方法です。

夏の暑いさなかに、幼稚園・小学校・中学校から熱心な先生方にご参加いただき、質問やご意見も活発に出されました。先生方からは現場の課題や困難についても率直にお話しいただき、われわれにとっても参考になりましたし、今後のプログラムに活かしていきたいと思う所存です。先生方にはぜひ現場に持ち帰り、活用していってくださいね。ありがとうございました。
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東京造形大学特別講義 [講師出講]

7月11日、『絵に現れる子どもの深層心理―よろこび・さみしさ・よるべなさ』と題して特別講義を行いました。37年に及ぶ私の絵画教室時代の中で、もっとも教室運営に困難を極めた頃の子どもたちの絵が、今では珠玉の作品群となっていることに不思議を感じながら、学生さんたちに紹介しました。荒れる子どもたちの心の安定のために、教室にあった多くの約束事を捨てて解放したシステムの中から生まれた、楽しくも不可解な作品が持つ意味を伝え、語りました。

思い返せば、子どもが荒れた時代、彼らに抵抗と意志が感じられました。今は子どもたちの表現力が脆弱になり、自由な場を提供しても、表現そのものが無表現であったり画一的になったりして、意味のある自由作品は生まれにくいのです。

だから今、私たちが子どもに提供する表現活動は全く別な方向に向かっています。もちろん、子どもの内面が無感動になったり、変容したのではないのでしょう。現代の子どもたちは、1980~90年代の子どもが持っていた(おそらく自然に身につけていた)、ある種の生活力や自己表現力が身についていないように思えます。そこを越えて表現へと向かう力を見いだしていこうとすること―そこに、私たちの活動が未来に向かって進む意味もあると考えています。

次回の講義は、また様相が変わったもになるのではないかと思います。

理事長 小村チエ子

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子どもの絵と心の複雑な関係―教員研修にて [講師出講]

7月4日、豊中市教育研究会表現部会の研修に出講しました。前半は、小学校3~4年の子どもの絵から、意識的・無意識的な心のメッセージを聞き取り、そこにある意味をお伝えするミニ・レクチャー。後半は、「自分を語るコラージュ・ワーク」と題して、子どもの感情解放と集中力をつけることをねらいとしたコラージュによるアート制作を体験していただきました。

参加された先生方からは、関係づくりが難しくなる高学年の子どもの作品が見たいという声も。思春期に差しかかるこの年代になると、ほめること、あるいは問題点を指摘して指導すること、そのどちらも難しくなり、どうしたものかと悩んでおられる様子。絵に関しても、5~6年になると、絵に気持ちがストレートに表わされることがだんだん少なくなります。気持ちが見えにくくなる高学年の作品の読み方、関係の取り方のスキルを、次回お伝えしたいと感じました。

コラージュ・ワークは、このスキルが自己の内面を感じ、自己発見の機会となったことへの驚きの声が集まりました。先生方にとって、子どもたちとのつながりに新しい刺激を生む何かとなってほしい願っています。ありがとうございました。

理事長 小村チエ子
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印象派を味わう―「カミーユ・ピサロと印象派」展 [講師出講]

先月のことになりますが、6/27(水)、シニアCITYカレッジにてピサロと印象派展にちなんだレクチャーをしました。

受講生の皆さんとは、5月に大阪市立美術館で「契丹展」という、かなりマニアックな展覧会を見ましたが、今回は万人向けというか、超ポピュラーな印象派です。が、その中でもカミーユ・ピサロという画家は、モネやルノワールに比べて馴染みが薄いかもしれません。実は全8回の印象派展に、唯一皆勤で出品した画家です。

印象派というのは、そもそもサロン(官展)と相性の悪かった(!?)若手画家たちが自主的に行ったグループ展に由来します。第1回は1874年に開催され、モネ、ルノワール、セザンヌなど30人の画家が出品しました。出品者は皆が皆バリバリの反逆児だったわけではなく、サロン寄りの画家も少なからずいたのですが、結果はご存知のとおり悪評紛々。「印象派」の語も、当時の批評家がモネの<印象―日の出>を揶揄したことからついたものです。

印象派の絵は、タッチや色が美しく、目に快く、理屈抜きで気持ちよく鑑賞することのできる絵が多いですね。世界中で愛される所以でしょう。しかし、今ではもっとも人気のあるこれらの絵が、発表当時、あれほど非難されたのは、どうしてなのでしょう[exclamation&question]これは、当時サロンで評価される絵がどういうものだったか、当時の人々にとって「よい絵」とはどんな絵だったのかを知らなければ、なかなか理解しにくいことです。逆にこれを知ることで、印象派の絵画が与えたインパクトを、より深く、いきいきと感じられるようになるでしょう。見る味わいも増すでしょう。

ピサロの絵画
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ということで、今回は、19世紀画壇の主流であったアカデミックな絵画との比較をポイントにお話しました。古典主義の美学を基礎とし、歴史や神話の主題を重厚なタッチで堂々とした大画面に描き出すアカデミック・アートは、軽やかで透明感あふれる風景画や風俗画の多い印象派の作品とは全く違います。一見すると、レオナルド・ダ・ヴィンチやラファエロの時代に逆戻りしたかのよう。そんな絵に慣れた人々の目には、細部が省略され、絵具を直接キャンバスに塗りつけたような印象派の絵は、ずいぶん異様なものと映ったことでしょう。この画家の一団はちょっとおかしいのではないか[exclamation&question]とさえ思ったとしても不思議ではありません。また、彼らが好んで描いたのは、歴史上の偉大なエピソードや神話ではなく、ごくありふれた田舎の風景やパリの街角、そして、そこに生きるの人々の日常。こうしたこともまた、理解されにくかった理由の一つでしょう。それらは決して、当時の人々が求める“偉大な芸術”ではなかったのです。

アカデミックな絵画―当時の人々にとってのザ・芸術
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左:ブーグロー「オレステースの悔悟」(1862) 右:カバネル「ヴィーナスの誕生」(1863)

一方、印象派の画家たちの芸術的特性や考え方も様々で、実はそれほど一貫した主義主張に根差す運動ではありませんでした。メンバーの異動や不和も多く、出品者や資金集めに苦労したことも多かったようです。その権威に陰りが見えてきたとはいえ、まだまだサロンの威力は健在。印象派の画家たちも、いずれはサロンで認められたいという思いを少なからず抱いていたのです。

そんな中で、カミーユ・ピサロは、展覧会のキャッチコピーにもあるように、まさに徹頭徹尾印象派だったといえるでしょう。モネやルノワールなど古参の画家たちが次第に(運動としての)印象派から離れていった後も、印象派としての矜持をもち続けました。晩年にはスーラやシニャックの新印象派に接近した一時期もあり、印象派の可能性を真摯に追求していたことがうかがわれます。しかし彼の絵には、むしろそうした熱い芸術的探求の軌跡を感じさせないような、穏やかで平和な世界が広がっています。さざ波のようなマチエールは、目の喜びここに極まれり、といった感じで、絵を「見る」喜びを存分に味わわせてくれます。

印象派の絵もアカデミックな絵もひととおり見た後は、ぜひ無条件に視覚の喜びに浸ってほしいと思いました。受講者の皆さんには楽しんでいただけたでしょうか。印象派は日本ともつながりの深い絵画。また機会があれば、日本の近代絵画と印象派についてもお話したいと思います。ありがとうございました。

[アート]「カミーユ・ピサロと印象派」展
兵庫県立美術館で8月19日まで開催中

小村みち
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磁器をめぐる熱い物語―マイセン300年 [講師出講]

6/13(水)、シニアCITYカレッジ(NPO法人シニア自然大学校主催)にて、「マイセン磁器の300年展」のレクチャーと見学を行いました。参加者はカレッジ受講生の皆さん約60名。

陶磁器は、美術工芸の中でも特に生活に根ざしたものづくりの領域ですし、ファンやコレクターも多く、絵画や彫刻に比べてより親近感の持てるテーマといえるでしょう。元気で知的好奇心旺盛な皆さんのこと、2時間のレクチャーにも積極的に参加いただき、午後の見学では豪華な陳列品の数々を前にさらに突っ込んだ質問が飛んでくる熱心さ。ミュージアムショップでは、売り物の高価なカップに見入って(魅入られて?)いた方も…[黒ハート]

「マイセン磁器の300年展」は、ヨーロッパ屈指の名窯マイセン開窯300年(2010年)にちなんで、西洋磁器の嚆矢であるマイセンの歴史を一望の下に展望する展覧会です。特に、マイセン創成期の磁器開発をめぐる男たちの刻苦奮闘の軌跡には、思わず引き込まれる面白さがあります。

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17世紀、東インド会社を通じて大量にもたらされた東洋磁器は、白く輝く滑らかな素地に美しく豪華な絵柄、そして薄く硬く丈夫で、実用面でもきわめて優れていることから、王侯貴族の間に熱狂的なブームを巻き起こしました。当時まだヨーロッパでは作るのことのできなかった磁器は、中国や日本からの輸入に頼るしかなく、それは東洋への憧れとあいまって、かの地での磁器熱をヒートアップさせます。金や香辛料とならぶ贅沢品として、「白い金」とまで呼ばれた磁器を、各国の王侯貴族たちはこぞって買い集めました。中でもザクセン選帝侯アウグスト強王は、自ら「磁器の病」と公言していたほどの磁器マニア。国家財政を破綻の危機に晒しながら、それでもやめられない、とまらない情熱でもって、集めに集めたのでした。

高価な磁器の収集は、当然、国家財政を圧迫します。ザクセンに限らず磁器収集が財政に深刻な影響を及ぼすことは珍しくありませんでした。それゆえ自国内での磁器製造は各国の念願でもあり、各地で焼成実験が繰り返されていたのです。そんなヨーロッパで、18世紀初頭、ついに硬質磁器の製法解明と焼成に成功したのがマイセン(現在のドイツ・ザクセン州)でした。件のアウグスト強王のもと、磁器製法の解明を命じられた錬金術師([exclamation])ベットガーが研究と実験を重ね、ついにカオリンを主成分とする素地の組成を解明、1300~1400℃という高温での焼成にも成功し、1710年、正式にマイセン窯が開かれたのです。その後も高温焼成に耐えうる絵付け用絵の具開発など様々な技術上の難関を突破し、ヨーロッパを代表する名窯として現在に至っています。

景徳鎮や伊万里などの東洋磁器を見よう見まねで模倣していた段階から、やがてヨーロッパ独自の様式が確立、さらに市民革命や産業革命による社会構造、生活様式の変化の波をかいくぐり、美術工芸として、産業として、300年を生き抜いてきたマイセン。美しい人形や食器セット、豪華な磁器彫刻の向こうに、近代ヨーロッパの激動が見えてきます。

お皿や茶碗やカップの素材として、今や誰でもごくあたりまえに使っている磁器。しかし、かつてはごく限られた人しか手にすることのできない究極の贅沢品でした。そして、その起原は東アジアにあり、中国や日本の磁器が西洋の貴人たちを熱狂させたのでした。

ひるがえって、ここ日本では、必ずしも西洋のように磁器ばかりがもてはやされたわけではありません。侘・寂(わび・さび)などの美意識をもち、独特の茶道文化を育んできた日本では、華やかな磁器とは違う、陶器の素朴で渋い味わいも大切にされ、洗練を重ねてきました。こうした東西陶磁器文化の違いも興味深いものです。

いずれにしても、人をこれほどまでに熱狂させる磁器の魅力とは何ぞや[exclamation&question]それは所有欲や権力欲と結びつき、富と権力の象徴として、政治や外交の演出道具として、あるいは高い教養の証しとして、時代の美意識と技術の粋を凝集した結晶でした。人があるものにとてつもない情熱を注ぐとき、その動機や意図がなんであれ、それが到達する高み・極みには限界などないのでは?―そんな感慨をもった展覧会でした。

[アート]国立マイセン磁器美術館所蔵 マイセン磁器の300年展
大阪市立東洋陶磁美術館で7月22日まで開催中

小村みち

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草原の民に思いを馳せる―「契丹展」見学 [講師出講]

昨日5/9(水)、シニアCITYカレッジ・アドバンスコース(NPO法人シニア自然大学校主催)の美術講座にて、「草原の王朝 契丹展」のレクチャーと見学をしてきました。受講者は、いつもながら意欲的なシニア世代の方々約40名です。

契丹(きったん)とはあまり馴染みのない言葉だと思いますが、今から約千年前、現在のモンゴル草原を中心に強大な帝国を築いた遊牧民族(及びその国名)のこと。マルコ・ポーロの『東方見聞録』には「カタイ」と記され、英語のCathay(キャセイ)やロシア語のКитай(キタイ)など中国大陸を表わす言葉として、現代に伝わっています。韓国の大河ドラマにもしばしば登場します。(千秋太后など)

その契丹族の最盛期である10~11世紀の文物が一堂にそろっているのが今回の展覧会。貴族の墓や寺院跡から出土した豪華な品々が往時の繁栄を物語ります。かつて契丹国(遼)のあった地域は、今はほとんど草原に戻っているだけに、その落差がまた想像力をかきたてる点でもあり、栄枯盛衰の不思議を感じさせる所以でもあり…。

美術好き、歴史好きの多い受講者の皆さんのこと、あまり馴染みのないテーマだけに、ひとおおりのレクチャーを受けた後の自由鑑賞ではいっそう親しみが増したようで、互いに感想を語り合ったりしながら、めいめいのペースで味わっておられました。

美術の鑑賞は、見る楽しみが大きな部分を占めますが、「見る楽しみ」を増幅させるのが「知る楽しみ」です。知れば、より楽しく、面白く、味わい深くなります。一般に、美術について「知る」(知識をもつ)ことは、あたかも自由に「見る」楽しみを妨げるかのように考えられている節もありますが、これはむしろ逆で、「知ればますます面白くなる」のが美術です。実際、講座受講者の中には、旅先などで美術館に行っても、(作品の主題や背景について知らないので)よくわからなかった、もっと勉強していけばよかった、そうすればもっと楽しめたのに…という経験を話される方が少なくありません。似たような経験をもつ方は、意外と多いのではないでしょうか。

アートが内包する豊饒な世界を、一人でも多くの方に発見・体感していただければ、と願いながら毎年、この講師を務めさせていただいています。深謝。

[アート]契丹展公式サイト
6/10(日)まで大阪市立美術館で開催中[ひらめき]

小村みち
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東西裸体事情―レクチャー&ワークショップ [講師出講]

昨日(2/22)、シニアCITYカレッジ(NPO法人シニア自然大学校主催)の美術講座に出講し、裸体表現をコアに西洋絵画と日本近代絵画を取り上げ、レクチャーとワークショップを行いました。毎度ながら受講者の皆さんは本当に熱心。子どもと若者は社会の宝だと思ってきましたが、元気なシニアも社会の宝だと、最近心から思うようになりました。今回は人数も約70名と多く、一層活気に満ちた4時間となり、私も大いに楽しませていただきました。

芸術としてのヌードを考える時、東西の身体観の違いが大きなポイントになります。なぜ西洋では人体表現とりわけヌードが発達し、日本(東洋)では発達しなかったのか。芸術と不道徳(猥褻)の境界、身体や裸体をめぐる東西の意識の違い、そして芸術としてのヌードという概念に出会った近代日本人の困惑と画家たちの奮闘努力。こうしたことに着目しながら、古今東西の裸体表現を見ていきました。

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後半のワークショップでは、オリジナル展覧会企画ということで、裸体表現を中心に選んだ30枚ほどのカードを使って、グループごとに好きなように分類・テーマ設定し、バーチャル展覧会を企画してもらいました。遊び感覚でワイワイ言いながら、各班各様の仮想ミュージアムができあがり、最後は互いに鑑賞しあい、コメントを言い合いました。

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美術館で名作を前にした時は、ついかしこまってしまうものですが、ここでは自由に、遊び感覚で、巨匠の名作にツッコミを入れたりしながら楽しむことができます。皆さんが本当に楽しそうに、ああだ、こうだ、いや、ああでもない、こうでもない、と、活発に手と口を動かしながらカードを並べ替えたり、タイトルを考えている様子を見ていると、私も本当に楽しくなります。

アートで遊ぶこうした企画を定番化したいと考えています。自由に、率直に、フラットな感覚でアートに向き合い、親しんでいく、そんな機会を提供できればと思います。

小村みち
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グループ活動を活性化するアートワーク(9/14) [講師出講]

昨日、豊中市の教育研究会表現部会にて、「表現を通してグループ活動を活性化する研修会」を行いました。小グループにスポットを当てた内容で、グループの在り方特徴についてのミニレクチャーと、4名程度の小グループで行うアートワーク体験です。

予め用意した動物キャラクターから好きな物をグループ単位で選んだ後、そのキャラクターを使って、各自めいめい自由に作品を作ります。作品が出来たら、今度は各自の作品を持ちよって、グループで1つのストーリーをつくります。もともと個別に制作したものを共同作品へと構成していく過程で、一つ一つをどう位置づけていくか、作品同士をどう調整していくかなど、様々なダイナミクスが生まれます。個人とグループとの関係を考える上でも興味深いワークといえるでしょう。

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参加者からは、「作品には自分の体験や気持ちが表れると実感した」、「自分の作品がストーリーの中にしっくりはまらないのではないかと思ったが、いろいろ話し合っているうちに居場所が見つかって安心した」、「絵は苦手で、なかなかイメージも湧かなかったが、結果的に今年一番のいい絵が描けた!」など、ホットな感想をいただきました。

学校では、大小さまざまなグループ単位活動が行われます。クラス全体、学年全体という大きな単位の活動もあれば、4~5人の班活動もあります。今回のワークは、特に後者のような小規模なグループの活性化に役立つものでしょう。班活動が多い学校の中で、現場の状況に応じて先生方ご自身の工夫も加えながら、授業や課外活動に活かしていってくださることを期待しています[アート]


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20世紀美術に挑戦!―カンディンスキー展鑑賞とワークショップ [講師出講]

少々日を遡りますが、6月1日&22日、シニアCITYカレッジの美術講座(NPO法人シニア自然大学校主催)に出講しました。毎年1~2回さまざまな美術についてお話しする機会をいただいており、いつも大変熱心な受講生の皆さんに触発されることしきりです。

これまでは、宗教画や歴史画など伝統的な美術を取り上げてきましたが、今回は受講2年目のアドバンスコース対象なので、あえて比較的なじみが薄いであろうと20世紀美術を取り上げることにしました。また、2回のうち1回は美術館見学をということだったので、ちょうど兵庫県立美術館でカンディンスキーと青騎士展が開かれていたこともあり、抽象絵画を中心に20世紀初頭の前衛美術にスポットを当てました。

ロシア出身のワシリー・カンディンスキー(1866-1944)は、抽象絵画の父として知られています。抽象画というのは、今でも多くの人にとって「とっつきにくい」絵画の一つではないでしょうか。何を描いてあるのか?何を考えて描いたのか?何を感じればいいのか?アタマの中にいくつもの「?」が駆けめぐり、どう反応したらいいかわからず、途方に暮れてしまう…「美しい」のかどうかもよくわからない…

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けれど、20世紀になって、絵画が抽象にたどりついたのには、それなりの経緯や必然性があるはずです。それを知ることで、抽象への目もぐっと開かれるでしょう。そういう意味で、此度のカンディンスキー展は、抽象が生まれるプロセスや芸術家たちをとりまくダイナミズムの軌跡、当時の美術界の動向などがたどれる、非常に興味深い展覧会でした。

6月1日は、午前中、展覧会の見どころをレクチャーしたあと、午後は各自、自由に観覧してもらいました。22日は、午前のレクチャーでカンディンスキー展をおさらいしつつ、時間軸を広げて抽象絵画の水脈をさぐり、午後のワークショップでは“自分流”抽象絵画に挑戦しました。

アートセラピーの手法を取り入れた、上手下手無用のグル―プワークは大変好評で、参加者の皆さんの笑いさざめきが広い室内に響き渡り、ファシリテートしていた私まで楽しくなってしまいました。受講者は年配の方が多いので、クレヨンやクレパスを使ったアートワークの反応はどうだろう…と、内心少々不安でしたが、そんな不安もどこ吹く風で、各グループみるみる盛り上がり、ちょっとしたパーティさながらでした。

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手と口をせっせと動かしながら、みんなでワイワイ楽しそうな光景を見て、ふと「キルトパーティ」のことが頭に浮かびました。アメリカ開拓時代、女性たちが集まっておしゃべりに興じながら、大きなパッチワーク・キルトを仕上げる、あのキルトパーティです。大人でも子どもでも、手を動かしていると自然と話も弾みますし、アートワークならば、描いたモチーフをネタにしていろいろと会話が発展していきます。老若男女問わず、こんなふうにアートしながらコミュニケーションもできる場があれば、脳も心も活性化するだろうな、と思った次第。コミュニティの中にそのような場をつくれないか、考え始めているところです。

CITYカレッジの皆様、ありがとうございました。来年もまたお会いしましょう。

副理事長 小村みち
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東京造形大学にて [講師出講]

7月21日、八王子市にある東京造形大学で講義をしてきました。芸術心理学を担当する、アートセラピストのS先生のお招きで、ゲストティーチャーとして話すことになったのです。芸大の雰囲気を味わうのは久しぶりでしたが、建物が点在し学生達がたむろする風景や講義室の空気は、何だか懐かしく身近なものに感じられました。

 講義タイトルは、「表現から見る子どもの心の発達とメッセージ」。2~3歳から12歳までの子どもの作品に見る内的傾向について話しました。幼児期の子どもが大人の想像以上の意志や意図をもって表現していること、また小学校時代の子どもの表現に現れる精神性・心の葛藤などを話し、さらに、私自身の34年間の子どもの絵との関わりの中で、特に深い感銘を受けた、ある3歳児の退行の事例に触れました。

 退行とは、人が発達して来た段階を逆戻りして現在よりも幼い状態を表すものです。私が出会ったある少女の絵は、人間の幼少期における愛情の獲得の重要さと、そのことが人の発達段階における精神エネルギーにかかわることを私に教えてくれたのでした。

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 講義の後、学生二人とS先生、私の4人でお茶会をもちました。参加してくれた学生たちは親和的で、「現場の人の話に迫力を感じた」と、講義の感想を述べてくれました。年齢差はあるけれども、私たちは大いに語り合い、東京で過ごした学生時代の寮仲間との語らいを思い起こしつつ、学生たちの現在・未来・仕事、また私自身の過去の生き方などを共有しました。

 そこから不意に、一人の学生が、自分の子ども時代に起こった退行の記憶を話し始めたのですが、大変興味深い内容だったので、紹介しておきたいと思います。

 「退行についての話を聞いて、幼稚園のころに世界のすべてが恐くて、何をするのにも恐怖を感じていたことを思い出しました。下に弟が二人いるのですが、それが関係あったのでしょうか。押し入れに隠れるのが大好きで、私の夢はウミガメもになることでした。私は内陸部の生まれで、海もウミガメもよく知らないはずなのに、何故か、「ウミガメ」になることをよく想像しました。今日の講義を聴いて、私の感じていた恐ろしさ、そして、その不安を癒すカメの存在などが、全くテキスト通りじゃないの!と思ってしまいました。」

 人と出合い、新しい事実と出合い、さらに心の不思議に出合う一日でした。多くの学生の皆さん、ありがとうございました。

理事長 小村チエ子

写真:キャンパスでみかけた学生の”らくがき”
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